ココカラ堂の主・ママぞうのブログ

心と体の話を聴く場所ココカラ堂の日常、思い。fureruセラピーや月経力、ベビーマッサージの話も。

心と身体の変化の講座に出た記録。

先週末、

カウンセラーの高石さんと気功の江坂さんと

ピラティスの葉坂さんが共同開催している、

「心身トランス/フォーメーション」という講座に参加してきた。

このタイトルを何度目にしても、

ロボットが「トランスフォーーム!!」と叫んで変形していく場面が浮かぶわたしなのだけれど。


タイトルの意味がわからなくても、どうしてもこれに参加したかった。

今日は、その参加したかった気持ち周辺を書いてみようと思う。

 

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からだにさわると、心がひらく。

ベビーマッサージを通して、それをずっとやってきている。

人にふれるということは、その人との距離がゼロになること。

皮膚という自他の境。

 

ベビーマッサージで、

お母さんの手を受け容れる赤ちゃんにある全幅の信頼。
赤ちゃんに手を受け容れてもらうことで育つお母さん自身の自己肯定感。

 

そんな中で見てきた、傷ついているお母さんたちの姿。

さわってもらうべきは、お母さん自身じゃないのか。

 

目の前にいるお母さんたちは、あの頃のわたし。

あの頃のわたしが欲しかった場所を。

 

そんな思いから、わたしがさわり、話を聴く。

心の話も、からだの話も聴く。
そういう場としての「ココカラ堂」

 

最近は、20代~30代の男性もよく来てくれる。

さわってほしいのは、話を聴いてほしいのは、お母さんだけじゃないのだ、当り前だけれど。

 

ベビーマッサージの奥にある、

信頼とか自己肯定感の問題は、

形を変えているだけで、セックスや日常のコミュニケーションと同じものだもの。

 

で、そんな中で、もっと何かできるんじゃないか、

正確には、もっと何もしないことも含みつつ、

その人が自分自身で歩く、もしくは止まる、休むことを、

お手伝いでもなく、ただ環境として、わたし自身が環境のひとつとなるような。

 

そんな触媒になるような。ただ環境であるような。

思い出したときだけ立ち寄れるお堂のような。

何もしなくてもそこに在るだけでいいお守りのような。

 

手探りでその道をさがす中、この講座にはそのヒント、もしくは答えがあるのではないかな、と。

 

「心身トランス・フォーメーション」で最初に掲げられている「心身」という言葉。

心と身体はつながり、影響し合っている、もしくは一体のものなのだと。

そこをもっと知りたくて。

言葉でなく。身体で体感として発見したくて。


そんな思いで参加した。

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話は飛ぶけれど。

20代で会社を辞めて、うわあ世界ってこんなに広いんだと知った頃。

アルケミスト」という本に出会った。
かもめのジョナサン」と並んで、あの頃に響いた大切な本。

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

 

 

今年の6月頃かな。
twitterのタイムラインに、アルケミストの言葉が流れてきた。
あ、あの本の言葉を拾う人がいるんだ、と興味を持ってアカウントをのぞいたら、

その主が、ピラティストレーナーの葉坂さんだった。

それが葉坂さんを知ったきっかけ。

 

そしたら、葉坂さんご本人のツイッターアカウントが、

@karada_kokoro だった。

 

あ、心と身体のつながりを知る人だ、と。

同時に「心と身体」ではなく「身体と心」の順番なのだなあと。

 

そこからは葉坂さんのツイートから知る周辺情報をいろいろと読んだ。
今回の講座を開催されている高石さん、江坂さん。
さらにはその周りにいるナンパ師の皆さん。

自分の見たことのない世界が広がっていた。

興味深く惹かれていった。

 

なんていうんだろう。
みんな、痛いくらいに自分の内面に斬り込んでいく。

他者との関係性の中で闘っている。

 

薄皮1枚剥いだ状態で生きているような。

そんな彼らが、とても正直で、ひりひりするのだけれど、とても美しくて。

 

わたしはそういう、自分に真摯な生き様が大好きだ。

だからついつい惹かれて、見てしまう。

 

葉坂さんに初めてお会いしたとき、

わたしは彼を評して「白い勇者」と言った。

まだ見ぬ高石さんのことを「黒い賢者」だとも言った。

 

白と黒は、ただの色だ。

善悪ではない。どちらも誰もが持っている。

大好きな「鉄コン筋クリート」というマンガでも、

シロとクロは2人でひとりだ。

でも、どちらの色が強いか、その人の性質としての色が何となくある気がしている。

 

で、葉坂さんは白、高石さんは黒かなあ、と。

(両方あるから、深く考えるとわからなくなる。ただの直感)

 

あとはドラクエそのままなのだけれど、

賢者は、僧侶の呪文も魔法使いの呪文も両方使える。

 

そのときのわたしには、勇者である葉坂さんが、

賢者の知恵に魅了され、勇者である自分のパーティに賢者を加えるのでなく、

勇者として、賢者のパーティに参加しているように見えた。

 

そして、そんなにもこの勇者を魅了する高石さんとは、

どんな人なのか、すごくすごく知りたくなった。

 

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講座を終え、実際にお会いしてみて。

その印象はさして変わらない。

 

あー、でも変わったかなあ。

高石さんは思っていたよりずっと優しかった。

もっと孤高の人を想像していたけれど、愛に溢れていた。

 

あとは、謎だった江坂さんが、

ああやっぱりどちらでもないんだ、と加わった。

 

もちろんたった10時間の講座で、何を知ったわけでもないから、

わたしの持った勝手な印象でしかないのだけれど。

 

森の中を進むパーティを、

木の上から眺めるフクロウのような人だった。

でもときどき面白がって降りてくる。

 

剣で修行する葉坂さんと、

呪文を操る高石さんと、

俯瞰して自由に立ち回る江坂さん。

 

3人の立ち位置が絶妙だった。

きちんとトライアングルとして、あの場が成り立っていた。

 

ん?それがフォーメーションなのか?

「トランス/フォーメーション」のトランスとフォーメーションの間にスラッシュがあるのは、

トランス状態を用いた3人のフォーメーションだからなのかしら。

 

まいっか、わたしにタイトルの答えはわからない。

とにかく、そのトライアングルの中において、

わたしは裸にされ、無力だった。

 

高石さんは何でもお見通しだし、

そんな高石さんにまっすぐな瞳で向かっていると、

横から江坂さんに隙だらけの急所を突かれるし、

痛がっていると、

葉坂さんがもう1度集中できるように身体面からフォローしてくれる。

 

そんな場所。

 

確かにわたしが持っていないものが、そこに在って。

あそこで掴みかけたものを、わたしはまだ掴みきれていない。

 

2人1組でぐるぐる手をまわすワーク。

あそこで体感した「集中力」

今ここ(手の重なるところ)に在り続けること。

先にいっても、あとに遅れても成り立たない関係性。

 

確かにそれをこの手で感じ、

今もあの瞬間を、あの感覚を思い出すと、

胸がじわーっと熱くなる。

あれなんだ、あれなんだ、と思う。

 

そのときに江坂さんに言われたこと。

無意識の動作がひとつもない。

そこに集中することにだけ意識を向ける。

そうすると、自ずと他は無意識の動作がでてくる」(意訳)

 

1点に集中して意識を向けること。

無意識の動作を引きだすこと。

 

その辺りをずーっと噛みしめ味わっている。

 

まだ、味わっている段階。

あとは、もっと繰り返して体に落とし込む。

きっと失敗や反省を繰り返しながら。

 

ここで一気に、高石さんの講座に繰り返し参加して、

痛い思いをしながら叩き込むのもひとつだなあ、と考えたけれど。

 

でも味わいきる余白がまだあるから、

もっと味わいきって、手詰まりになったところで、

もう1度お世話になるのもいいかなあと、

今はそう思っている。

 

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そう。さいごに。

この講座に出て、わたしは他の参加者さんが変わろうとする姿に感動した。

 

この講座、裸にされるし、ごまかしが利かないし、

本当に苦しいの。

 

でも、その葛藤を引き受けて、ひと呼吸ずつ振り絞るように、

耐えながら前に進む姿を見て。

 

わたしは彼を忘れないと思う。

あれを見たら、わたしもやらないわけにはいかない。

そういう力を持った強い姿だった。

 

と同時に、わたしのやりたいことはあれなのか、と。

自分に問う。

変わりたい人が、殻を破りたい人が向かう場所としての、

高石さんの講座。

 

あそこは日常ではない。

ある意味、ココカラ堂の目指しているものと同じ非日常。

非日常で得た気付きを持って、でも生きるのは日常。

 

あそこが、全て自分の力で殻を破ることを課せられる道場なら。

わたしは北風と太陽の、太陽のような。

思わず自分から脱いじゃいました、と。

そんなことができないものかなあ、とぼんやり夢想してみる。

 

わたし以外の参加者が全て若い男性だった。

講師3人もわたしより年下の男性。

そう、男性ならではのストイックな場だったから。

 

同じことをやるのだとしても、

子を持つわたしの母性や女性らしさをもってできないものかと。

 

温かい羽毛布団のような、

そこで裸で寝ころんだらきもちいいでしょ。

裸になるでしょ。

 

そういう裸のなりかた。