ココカラ堂の主・ママぞうのブログ

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月経力(経血コントロール)の全て。<1>月経力と名付けるまで

生理の血はトイレで出しています。

と言うと、「どうやって?」「そんなことできるの?」
と驚かれます。

「出しています」と言っているのに、
「どうやって止めているの?」「締められるの?」と、
出し方ではなく、止め方や締め方を聞かれます。

そもそもの始まりは、中学生か高校生の頃でした。
新聞だったか雑誌だったかも覚えていません。
ただ、右側のページの中段の記事だったことは視覚的に覚えています。
「昔の女性は、排泄のついでに、3秒くらいいきんで出していた」といった要旨のことが書いてありました。

それがどんな根拠を持って書かれたのか、今となってはわかりません。
ただ、当時10代だったわたしは素直に「へえー、やってみよう」と思い、
次の生理から、自分の股を覗きながら「1,2,3・・・ふぅーっ」と下腹部に力を入れ、いきんでみるようになったのです。

 

そうすると、ぽたぽたっ、とか、たらーっ、とか。
少し経血が出る感じがしました。

もうきっかけは関係ありませんでした。
とりあえず、いきんでみると、ちょっと出る。
今ここでちょっとでも出しておけば、あとでナプキンにつく量は減るでしょ、と。

ただ単純にそう思って、それを繰り返してきました。

わたしのしてきたことは、それだけです。
膣を締めようとか、骨盤底筋群の筋トレとか、したことありません。

初潮から約20年間、ずっと紙ナプキンを使ってきました。
ソフィとかロリエとかウィスパーとか。
布ナプキンに変えたのは、30歳を過ぎてからです。

だから、月経力、いわゆる経血コントロールとナプキンの種類は関係ないと思っています。
もし関係あるとしたら、それはナプキンの問題ではなく、人の意識の問題で、自律神経に作用することもあるのかも、と今はそう考えています。

10代、20代とずっと、月経血コントロールという言葉はもちろん、
自分のしている「トイレで出すこと」が特別だという認識も全くありませんでした。

それでもずっと、トイレで出すことは続けてきて、
それはまるで排尿や排便と同じように、
「そのときに出るものはトイレで全部出す」という当たり前のことで、
それが日常でした。

結果、どうだったかというと、
わたしの生理は、ナプキンにほとんど経血がつかず、
夜は1滴も出ません。

全くつかないかと言うと、
夜は全くつかないのですが、
昼はちょっとつきます。

しばらくトイレに行かなければ、
力をいれたときに「あ!」という瞬間があったり、
そういう瞬間がなくても、
かすれた血がついていたりはします。
でも、もれることはほとんどありません。

生理が来たな、と思ったら、
ナプキンは使わず、トイレットペーパーをくるくるっとまるめて、
お股にはさんでおけば、それで足りるくらいです。
ナプキンだったら、1日1枚で大丈夫。

魔法でも手品でもなく、
血の量が減ったわけでもなく、
ナプキンにつかない分は、ただトイレで出している。
それだけのことです。

最初に戻るけれど、
止めているわけでも、締めているわけでもなくて、
出していたらこうなった。
それが事実です。

でも人は「どうやって止めているの?」と聞きます。
そこからわかるのは、それだけみんな「出ている」のだろうなあと。
「出している」のではなく「出ている」のだろうなあと。

そうなると、やっぱりわたしは「出ていなくて」「出している」。
それが大きな違いなのかな、と。

でもときどきナプキンに血はつくから、
「完全に出ていない」でも「止めている」でもなく、
「出しているから、出てしまうほどの量がない」だったり、
「いつのまにか、少しは止めているのかなあ」と、
そう思うようになりました。

自分にとって当たり前だったことが、他の人には当たり前でないと知って、
しかもわたしは楽で、他の人は大変そうだと知って、
さらに「教えて」と言われるようになって、
わたしは「月経血コントロールを伝えるお話会」をするようになりました。

しつこく書きますが、わたしは「出しているだけ」で、
「止めても締めてもいない」ので、「コントロール」という言葉に違和感がありました。

コントロールという言葉は、出したり止めたり自由自在なイメージがあります。
だから「どうやって止めてるの?」と聞かれるのかなあ、と。

わたしにとって「生理の血をトイレで出すこと」は、排尿や排便と同じです。
「そのときにあるものは、トイレに行ったときに全部出してから、日常生活に戻ること」なのです。

排尿や排便を「おしっこコントロール」「うんちコントロール」と呼ぶなら、
これもやはり「経血コントロール」なのかも知れません。

でも大半の人は、排尿のことを、おしっこコントロールと呼びません。
トイレで出すのが当たり前で、
日常生活では、止めようとしなくても止まっているのが当たり前だから。

これが、「今おしっこしちゃダメだ!」と、ずっと意識して暮らしているならコントロールですけれど、

幼少期にトイレトレーニングをして以降は、
「無意識に暮らしていても出ない」から、コントロールしている感覚は無いのではと思います。

わたしの感覚は、これにとても近いです。
だから、「月経血コントロール」と呼ぶのをやめて、
「月経力」と自分で名付けて呼ぶようにしました。

ただ、「トイレで出す力」だなあと、
「からだに不要になったものを自分の力で外に排出する力」だなあと、
そう思ったので。

「トイレで生理の血を出すこと」が「月経血コントロール」と呼ばれるようになったのは、三砂ちづるさんの「昔の女性はできていた」という本の帯からだと思っています。

 

昔の女性はできていた―忘れられている女性の身体に“在る”力

昔の女性はできていた―忘れられている女性の身体に“在る”力

 

 この写真にも帯が見えますが、
「かつての女性たちは月経血もコントロールできていたのに」とあります。

そして本文中でも「月経血コントロール」という言葉が多用されています。
この言葉の名付け親は三砂ちづるさんです。

これが出版されたのが2004年。
三砂さんがこの本を出版なさったことで、
「月経血コントロール」という概念が広く知れ渡ることとなりました。

わたしにとっても、三砂さんのこの本は恩人です。
なぜかと言うと、この本に出会うまで、
わたしは自分の生理を「普通と違う。おかしい」と考えていたからです。

テレビを見れば「多い日も安心!」「2日目も安心!」とコマーシャルが流れまくっているし、
「夜用ナプキン」の大きさときたら!!!

生理の血がほとんどナプキンにつかず、
夜にも1滴も出ないわたしからしたら、
「あんなにたくさん出るのが普通なんだ。ほとんど出ないわたしは異常ではないか」
と、ずっと心配でした。

最初に何かの記事を読んで始めたことなど、すっかり忘れてしまっていたのです。
トイレで出すことは当たり前になりすぎて、
ただ「ナプキンにほとんどつかない」ことが悩みの種となっていました。

それが、この本に出会って、
「わたしのしてきたことは合ってたんだ!」と、
そういえば、そもそも昔の人はそうしていたと書いてあった記事を読んで始めたことだったんだと思い出しました。

だから、三砂さんの本は恩人です。
誰にも言えずすっと悩んできた「わたしの生理はおかしいんじゃないか」という疑念が解消されました。
と、ほぼ同時期に妊娠もしたので、産婦人科を受診することもでき、
わたしの子宮は大丈夫だったと、心から安心することができました。

だから最初は「合ってた!」という思いばかりが先行して、
「月経血コントロール」という言葉に違和感を感じることもありませんでした。

違和感を感じるようになったのは、
あまりにも皆さんに「どうやって止めてるの?」「締め方を教えて」と言われるようになってからです。

「締めてないよ、コントロールしてないよ、ただトイレで出すようにしていたら、自然と他の時間は出なくなったんだよ」
と。

そう伝えたくて「月経力」と名付けました。

本当は「月経力」でも「コントロール」でも、呼び方なんてどうでもいいんです。
ただ「締めるんじゃなくて、出すだけだよ」ということが伝われば。

それを伝えるには、コントロールと言っていたら伝わりづらいのかな、と思って「月経力」と呼んでいます。もっと良い呼び方があれば変えてもいいと思っています。

伝えたいのは、
「トイレで出すだけだよ」
「そしたらナプキンにつく量が減るし、夜も出ないし、すごく楽だよ」
それだけです。


次の記事に続きます。

月経力(経血コントロール)の全て。<2>考え、批判、仮説。 - ココカラ堂の主・ママぞうのブログ


さらにその次の記事も書きました。

月経力(経血コントロール)の全て。<3>紙ナプキンと布ナプキン - ココカラ堂の主・ママぞうのブログ